得意ではない人

「心底嫌いな訳では無いが、得意ではない」人が、あなたの周りにもいるだろうか。

 

僕にはいる。同じ会社の、違う支店の、ひとつ上の先輩である。

 

配属の店舗は違えど、住んでいる地域が近所ということもあり、入社当時はよく飲みに出ていた。お互いお金が無いので、コンビニで缶ビールを買って公園のブランコに座りながら「ビアガーデンや!」と叫んでみたり、先輩が常連のお店に連れていってもらって、裏メニューの大トロ握りを食べさせてもらったりした。これが本当に美味い。

 

字面だけ見れば良好な先輩との関係に見える。しかし、僕はいつもモヤモヤを抱えながら接している。

 

 

 

関西の人は「イキる」ことを嫌う。正確な意味はよく分からないが、ダサいカッコのつけ方、とでも言うべきか。関東の人にはこの感覚をなんと呼ぶのだろう。

 

その先輩は、とにかく「イキる」のである。

 

職場では本当に大人しくしているそうだが、僕の前ではとにかく「イキる」。

 

「悪させなあかんなあ!」

「俺らほんまキチ〇イやしな!」

「いつもはハメ外す俺が、今日は真面目にいくわ!」

 

彼にとっての「悪さ」は、カラオケに入って意味もなく叫ぶことだし、彼なりの「キチ〇イ」は、タクシー乗り場まで行ってからカラオケに行くことだし、彼にとって「ハメ外す」は、ビールが198円の居酒屋で時間を潰すことである。

 

カラオケという文化がもたらした弊害である。

 

 

高校時代からゴルフ部に所属していたこともあり、周りの人達はお金持ちのようだ(本人の実家もお金持ちである)。そういった人たちと過ごしてきたせいか、どこか周りの人を見下している言動がよく見受けられる。

 

「いや、先輩も大したことないっすよ」

 

と喉元まで出かかった言葉を何度飲み込んだことだろうか。

 

「○○(その先輩の名前)会」と称して1度だけ開催された飲み会は、新入社員の参加拒否により2度目が訪れることはもうない。ちなみにその「○○会」は割り勘制である。

 

そんな先輩に対して、職場では大人しくしているから、僕の前でぐらいイキらせてあげようか、と心を広く持つようにしている。社会人歴1年半、成長である。

 

ここまで書いたが、たぶん、その先輩も「寂しい」人なのだろう、とも思う。職場では大人しくしているというのが、僕には引っかかる。浮いているのだろう、同じ店舗の後輩と付き合っていることも影響しているのかもしれない。社内恋愛はよっぽどでなければ冷めた目で見られる。営業成績もめちゃくちゃいいという訳では無い。

思ったようにいかない色々が重なって、でもぶつける相手も居なくて、寂しくて。

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで仕方なく相手をしている先輩と、宿泊研修が被ってしまい、夜も連れ回され、1日一緒に過ごして気が狂いそうになったので、文章にしたためておきます。

 

おじいちゃんの話

 

僕には、おじいちゃんが2人いる。

父方の、実家で一緒に暮らしていたおじいちゃんと、母方の、車で10分も行けば会えるおじいちゃん。

 

母方のおじいちゃんはなんだかんだありながら、畑仕事にビニールハウスにと精を出しているので、もう暫くは元気だろう。

 

今日は、父方のおじいちゃんについて思い出を綴ろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

記憶のある頃から遡っても、僕は典型的な「おじいちゃんっ子」だった。腐るほど田舎ということもあり、3世代同居は当たり前、共働きの両親に代わって、おじいちゃんの後ろをずっとついて回っていた。

 

大工の棟梁をしていたおじいちゃんは、とにかくなんでも出来る人だった。鋸にトンカチに何百種類の釘、糸と墨を使って線を引いたり、L字型の物差しで何やら測ったり、今でも何を作っていたのかはよく覚えていないが、手際よく作業をするおじいちゃんを見るのが好きだった。

チャリのタイヤのパンクも直すし、ヘビが出たら叩いて殺すし、ショベルカーを乗り回して小屋の解体までしていた。

もちろん米農家でもあったので、トラクターから田植機、コンバインなど色んな機械を乗り回していた。

 

 

お酒も弱いくせによく飲む人で、いいちこのお湯割りを好んでいたように思う。フライパンで鶏肉を焼いて、大相撲を見ながら焼酎を美味しそうにすするおじいちゃんは、とてもかっこよかった。煙草はキャスターの5ミリ。僕が煙草を吸い始めたのが20歳になってからだが、その頃にはもう欠番していた。

 

綺麗な白髪をオールバックにしているのに、全部抜けてしまった歯、おぼつかない口元のアンバランスさが僕は好きだった。

 

小学生の頃は公文に通っていたから、送り迎えも沢山してもらったし、野球の応援にもおばあちゃんを連れてしょっちゅう来てくれた。

 

僕が大学生になるまでの18年間、腕が上がらなくなったり少しずつ痩せてはいたものの、元気なおじいちゃんと一緒に過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

そんなおじいちゃんも、老いには勝てなかったようだ。僕が大学生になって一人暮らしを始めた頃から、徐々に徐々に弱っていった。車の運転をしなくなり、お酒を飲む回数も減り、しまいには家の周りを散歩するのがやっと、というところにまで衰えていた。「僕がおらんから寂しいやろ」と冗談で言ったつもりが、えらく真剣な顔をしていたことを覚えている。

 

 

 

僕が20歳になる手前、ほんの一週間前の出来事だ。

都合をつけて実家に帰り、食卓でおじいちゃんと話していると、おもむろにいいちこを取り出した。

 

「もう、ほんまに飲めへんようになったわ」

 

「まだまだ飲まなあかんで」

 

「おう、お湯入れてきてくれ」

 

僕はグラスを2つ持っていた。1つはおじいちゃんの、もう1つは自分用だ。なんとなく、なんとなくではあるが、感じ取っていたのかもしれない。

 

とくとくとく、と小気味よい音を立ててハーフのお湯割りを作ったおじいちゃんは、ちびちびと飲みだした。

 

「内緒でな」

 

僕も一緒に飲むことにした。なんとなく、これが最後のような気がした。そんなことを考えていると、何だかいたたまれなくなって、「彼女から電話だわ笑」と嘘をついて自分の部屋へ駆け込んでおいおい泣いた。

 

 

 

 

 

 

本当に、その時はやってきた。

居間の段差で転んでしまったおじいちゃんは、骨折と共に肺炎を患った。しかも誤嚥性肺炎という、痰が気管支に入ろうとする病気だった。

いつまでも元気だと思っていたおじいちゃんが、酸素マスクを付けてベッドに横たわっている姿を見ると、涙が次から次へとこぼれた。喋ることもままならず、ましてや食事も摂ることが出来ない。意思表示もしんどそうな顔を見せるだけで、何をしてあげたらいいのか、皆目検討もつかなかった。

 

僕はそんな自分が情けなくなって、気丈に振る舞う家族を尻目に、喫煙所でおいおいと泣いた。

 

帰りの車で、D.W.ニコルズの「ありがとう」を聴いて、視界が見えなくなってしまった。

 

「優しいものだけ 全部集めたら あなたが出来上がる

何も求めずにいつでも笑顔でボクを見守ってくれる

たったひとつ ひとつだけでも 何か返せたかなあ

 

ありがとう ありがとう

叫んでも届かなくなってしまう前に

ありがとう ありがとう

叫ぶように歌うよ今あなたに ありがとう」

 

 

これが最期だと思った。

 

 

 

 

 

 

ひと月ほど経つと、なんとか安定したようで、僕の成人式のスーツ姿を見せることが出来た。相変わらず喋りはおぼつかなかったが、僕のことをちゃんと分かっていて、笑顔で写真を撮ってくれた。

 

 

 

 

 

季節は夏になった。

期末テストを控えた僕は、必死に勉強していた。親父から入電があり、危篤とのこと。勉強道具を片手に、片道4時間の田舎道をぶっ飛ばして帰る。

病院に駆けつけると、意識があるような無いようなおじいちゃんが横たわっている。おう、と声をかけると、薄ら目を開けて反応してくれた。

もう、おじいちゃんと過ごすのは最後だろうな、と覚悟を決めて、一緒に過ごすことにした。入れ代わり立ち代わり、家族や親戚が来たが、僕はずっと病室に居た。

痰が絡んで上手く喋れないおじいちゃんは、どんな声をかけても反応はするが会話が出来ないでいた。コミュニケーションがとれないのは大変に苦痛だったが、おじいちゃんと過ごした日々の思い出にふけり、忘れた頃にテストの勉強をし、3日間を共にした。

 

 

 

 

 

 

 

これが、おじいちゃんと過した最後の時間だった。それから3日ほどして、夜中の2時頃に、息を引き取った。84年の生涯だった。

 

覚悟を決めていたのだろう、葬儀屋さんが淡々と作業をするのには、なんの抵抗もなかった。むしろ、人が亡くなったらこういうことが行われるんだと、関心さえしていた。

お通夜の夜も、葬儀会館の遺族控え室みたいなところで、叔父さんたちとおじいちゃんの思い出話に耽った。

 

 

 

葬儀の間もなるべく平静を保っていたものの、いざ出棺前、お別れの場面となると、声を上げて泣いた。嫌だとか離れたくないとか、そういうのではなく、もっと一緒に過ごせばよかった、もっと沢山話をすればよかった、ドライブに連れて行ってあげられたのに、お酒を一緒に飲めたのに、煙草を吸ってあーでもないこーでもないと言いあえたのに、色んな後悔が襲ってきた。

一人暮らしを始めなければ、一緒に暮らしていれば、元気にしてあげられたのかもしれない、とも思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おじいちゃんが亡くなって4年目の夏が訪れた。

悲しいことに、記憶は薄れていってしまう。多忙な日々に追いやられて、頭の片隅からどんどんとこぼれてしまう。

 

それでも、おじいちゃんと過ごした毎日があって、いまの自分があるのだと、確かに言うことが出来る。叫んでも届かなくなってしまう前に、ありがとうを、言おうと思う。

 

ひとりの時間の過ごし方

お題「ひとりの時間の過ごし方」

 

 

こんなのあるんだ、へえ。

 

 

なんとなく書きたくなったのですが、テーマが見つからず、お題をはてなブログよりいただき、書いてみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

18歳からひとり暮らしを始めて、今年で6年目に突入した。実家に居る時からわりと台所に立つ機会が多く、アルバイトでも居酒屋や定食屋のキッチンで仕込みをすること2年間。それなりに料理は出来るし、洗濯も掃除もこなさなければ生きられない。

 

そんなこんなで1人で大概のことは出来るようになった。もちろん、休みの日を1人で過ごすことも、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

火曜日 19:00

平日休みの僕にとって、休みの前の日の過ごし方は重要だ。世間の流れと逆行するように仕事をし、喫煙所へ。レイトショーで上映スケジュールをチェックし、映画館へ。ビールとポテトを買い、周りに人がいなさそうな席を選ぶ。ずっと首をあげているのもしんどいので、真ん中より後ろの席に腰をかける。

 

 

22:00

エンドロールまできっちり見た後、映画の口コミにあーでもないこーでもないと思いを馳せつつ、市営地下鉄へ。4駅目の終点が、僕の最寄りだ。改札を抜けていつものコンビニへ。喫煙所にベンチがあるのがありがたい。煙草を1本吸って、ハイボールとバタピーを買い込み家路に着く。

 

 

23:00

帰宅。風呂と歯磨きを済ませ、YouTubeのアプリを立ち上げる。最近麻雀を打ってないなと思いつつ、モンド杯や芸能人の動画を眺めつつ、ハイボールを流し込む。アイコスは部屋でも吸えるから素晴らしい文明の利器である。

 

 

水曜日

1:00

うとうとしつつ、電気を消す。目覚ましはかけなくていいのだ。Twitterで適当に呟き、就寝。

 

 

 

9:00

起床。外が晴れているようなので洗濯を回す。その間にトイレや風呂の掃除を済ませ、一服。洗面台がないアパートの、風呂の出入口の縁に腰掛け、洗濯が終わるのを待つ。知らせと共に、くるりユーミンの「シャツを洗えば」を口ずさみながら、ベランダへ。

 

 

11:00

身支度を済ませ、駅に向かう。最近古着屋に顔を出してなかったので、買い物がてら街まで出かけることにする。

 

 

12:00

ミックジュースの美味しい喫茶店でランチ。喫煙可なのが有難い。800円にしてはコスパの良すぎるランチを平らげ、古着屋へ。

 

 

13:00

古着屋のお兄さんと仕事の話や服の話をひとしきり、本来の目的である服を選ぶことに。柄シャツをやめたいと思いながらちんどん屋のような服をお買い上げ。

 

 

16:00

話し込んでしまったなと思いつつ、サラリーマンの帰宅を避けるように電車へ乗り込む。

 

 

17:00

スーパーで買い出し。鶏もも肉は1枚を4等分にして冷凍させておくとコスパがいいことや、お茶を沸かすのが面倒なので2リットルの安い水を買うことで水分をしのげること、都会は野菜が高いことなどを考慮しつつ、外食がいかに高くつくかに思いを馳せながら、お会計。30円引きのシュークリームはご愛嬌。

 

 

18:00

帰宅。米を研ぎ、炊飯器にセット。今夜は親子丼。もやしを茹でて鶏がらスープとごま油で和えてナムルに。YouTubeで今度はアカギのアニメを見ながら夕飯。1人の夕飯はいつまで経っても慣れない。

 

 

19:00

気分屋の親父から入電。ひどくどうでもよいことをきっかけに、近況報告など。

 

「今度はいつ帰ってくるんや」

 

「うーん仕事がなあ 休めへんからな」

 

「そうか、まあぼちぼち気張れよ」

 

「おおきに、おおきに、ほんならね」

 

 

 

20:00

風呂を済ませ、洗濯物を取り込む。よくもまあユニクロのノンアイロンシャツはノンアイロンと言い張れるな、というよりスーツ屋さんで仕立ててもらうのが1番なんやけどな、と思いつつ、アイロンをかける。

 

 

21:00

明日の仕事へ絶望しながら、YouTubeTwitterを行ったり来たり。悩みである肩凝りはストレッチをしても何をしても治らないので、次の休みは整体にでも行こうか、と523697回目の決意をし、ネットの海へ。

 

 

24:00

就寝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長々と書いてみましたが、1人でもなんやかんやでやる事は沢山あります。これが2人だともっと違うのだけれど。今日明日2連休のお善哉日記。

 

 

 

 

ばらの花

 

 

タオルケットにくるまって、iPhoneで時間を確認する。8時に目が覚めたのだから、休日としては上等だろう。

 

カーテンの隙間から覗く外の明かりが、今朝は白んでいる。朝起きると外は雨で、昨夜干した洗濯物が可哀想に濡れているようだ。「あちゃー」と独りごちて洗濯物を取り込む。幸い、まだ降り出したところのようで、ほとんどの洗濯物が無事に帰還した。

 

 

冷蔵庫からジンジャーエールを取り出し、ラッパ飲みする。口はつけないように、顎にペットボトルを当てて飲むと清潔に保てる、ような気がする。

 

酒が弱いくせに、酒の味が好きというジレンマを抱えた僕は、学生時代、色んなウイスキーを色んな液体で割ることを覚えた。ロックで飲むとすぐに酔いが回って味わう所ではないので、おおよそ炭酸かコーラかジンジャーエールで割ることにしている。

 

とりわけ、ジンジャーエールで割るウイスキーには強い思い入れがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジンジャーハイボール1つで」

 

居酒屋の店員にも、バーのマスターにも、彼女はいつもそうやって注文していた。必ず店員さんの目を見て、持ってきてもらう毎に「ありがとうございます」を言う人だった。

 

1つ歳上の、写真を撮るのが好きな女性。最近流行りのカメラ女子とは違って、単純に写真を撮るのが好きだった。ぼくのライブにはおおよそ駆け付けてくれて、Nikon一眼レフカメラで撮影をしていた。

 

そんな彼女と、プロポーズの話になった。

 

 

「どうせあんたはロマンチストだから」

 

「いやなんで分かるんですか」

 

「どうせばらの花を送ったりするんでしょ」

 

「いや、なんで分かるんですか」

 

「何枚あんたの写真を撮ってると思ってんの。あんたの作った歌なんてクサいのばかりだし」

 

「それがいいんでしょうが、それがいいと思ってるでしょ、先輩だって」

 

 

思えば、この頃から「結婚」についてなんとなく考えるようになっていた。ジンジャーハイボールを頼む彼女を、ずっと見ていられると思っていた。僕は先輩にばらの花でプロポーズをしようと思っていた。

 

 

6月の蒸し暑い夜に、終電を逃してしまった僕達は、寂れたラブホテルになだれ込んだ。乱雑に脱ぎ捨てられた服たちを横目に、将来の話をした。

 

「結婚って、考えますか」

 

「社会人1年目の私にはまだ早いよ」

 

「ぼくは真剣に」

 

「ばらの花ねえ」

 

「だめ、ですか」

 

「だめ、とは言ってないけど」

 

「じゃあ3年、3年後に結婚しましょうよ」

 

「3年後に、あんたが隣にいたら考えなくもない」

 

「·····」

 

 

結婚について真剣に踏み切れなかった彼女も、黙りこくってしまった僕も、弱虫だったのだろう。押し問答は朝まで続いた。

 

千円札が1枚ずつしか入らないラブホテルの精算機に苛立つ僕と、気長に押し込んでいく彼女。

 

「あんたのそういうとこだよ」

 

外は雨だった。駅まで送ろうか、と傘を差し出すと、いらない、と彼女は言い捨てた。最後にホテルの前で後ろ姿を見て以来、彼女と連絡がつかなくなってしまった。帰りのコンビニで買ったジンジャーエールを飲んだ。彼女のことを思い出して、涙が滲んだ。

 

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雨降りの朝で今日も会えないや

なんとなく でも少しほっとして

飲み干したジンジャーエール 気が抜けて

 

 

 

くるりの「ばらの花」を聴いて、なんとなく思いついたストーリーを書いてみました。この季節によく聴きます。

白馬に乗って

「白馬に乗った王子様が、きっと私のことを迎えに来てくれるわ」

 

夢見る女子の皆さんなら、1度は想像したことがあるだろう。現代風に言うなら「白い外車に乗った優しいイケメンが、仕事終わりの私を迎えに来てくれるわ」といったところだろうか。

 

かくいう僕も、「白い外車に乗って」という点では一致しているかもしれない。しかしその日の僕は、「黒いタクシーに乗って」彼女を迎えに行くことになる。

 

 

 

 

 

情けない話だが、再結成をした彼女とは別れることになった。4月の頭頃だ。潔癖症で夜の営みもない僕は限界だった。あっさりと別れ話をした後は、悲しみよりも仕方ないなという感情が湧いてきた。そうして、毎日仕事で怒られつつ、酒を飲みつつ、前と変わらない生活を送るようになった。

 

そんなある日、Twitterでとある人をフォローすることになった。のか、されたのかは覚えていない、なんとなく関西の人やな〜ぐらいの感覚だった。

 

軽い会話を挟みつつ、お酒を飲みましょうということになった。お互い平日休みの仕事をしているということもあり、「気軽に飲める人できてよかったな〜」と思いながら、会う約束をとりつけた。

 

ネットの出会いは未だに信頼していないので、念の為、電話をすることにした。可愛らしい声で、話を聞くのが上手な人だな、という印象だった。

 

 

 

翌々日だろうか、仕事終わりにラーメンでもと思いながら歩いていると、僕としたことが定休日であることを忘れていた。仕方がないので同じ通りのお好み焼き屋に1人でなだれ込む。キムチと生ビール、豚玉にレモンサワーで出来上がった僕は、常連さんとの会話もひとしきり、お店を出ることにした。

 

 

人間は人恋しくなると電話をかけたくなってしまう生き物らしい。ふと、2日前に聞いた声が聞きたくなった。

 

 

「今夜はまだ起きてます?」

 

「起きてる」

 

「酔いどれの電話に、少しだけ付き合ってもらえませんか」

 

「コンビニ行く準備するから待ってて」

 

 

僕の耳に、彼女の可愛らしい声が届いた。内容は覚えてないので、たわいも無い会話だったのだろう。

 

 

翌日、お礼の連絡を入れると、向こうも嬉しかった、とのこと。揺れていた気持ちが確信に変わった。

 

 

「今夜、仕事終わりにいかがでしょう」

 

 

本当はもう2週間先に会う予定だったが、前倒しで会うことになった。仕事終わりに、黒いタクシーに乗って、飲み屋街へ繰り出した。

 

 

 

 

金曜日の飲み屋街はサラリーマンに大学生、時間帯も21時半ということも相まって、たくさんの人で溢れていた。そんな人混みをかき分けて、彼女は花柄の折り畳み傘を差してやってきた。

 

予約しておいた焼き鳥屋に入り、ビールで乾杯。会社の先輩に遭遇するというハプニングもありながら、彼女の価値観を探った。「食の好み」「仕事の価値観」「家族」「恋人」、失礼のないように、話せる範囲を徐々に広げていった。

 

23時半になり、そろそろ終電か、という時間帯。お手洗いに行っている間にお会計を済まし、ここで勝負に出る。

 

「この後、どうしはります?」

 

 

 

 

「どうしたいの?」

 

 

 

こうくるか。どうしたいの、どうしたいのと言われると、それはもうなだれ込むしかないだろう、いやしかし初対面の人とそういう関係も、いやいやいい歳をこいて何を今更。煙草に火をつけようとすると、ジッポオイルが切れてしまい、使い物にならない。テンパる気持ちを抑えつつ、散歩することにした。

 

 

 

「あのー、えーっと」

 

「なに?」

 

「順番ってあるとおもうんですよ、順番」

 

「うん?」

 

「お互い大人とはいえ、ね、中途半端な関係になるのも僕嫌なんで、うん、付き合ってくれませんか?」

 

「うん」

 

「えっ、ほんまにいいんすか、え」

 

「いいよ〜」

 

 

ロマンチックのかけらもないが、かくして付き合うことになったのである。

 

 

 

あの日、僕は、黒いタクシーに乗って、仕事終わりの彼女を、迎えに行ったのである。

 

就職してからの1年間を振り返る

 

つらつらと書きます。

 

 

ちょうど今のアパートに越してきて1年が経ちました。学生時代を過ごした街を出て、大好きな友達と別れを告げ、彼女との遠距離が本格的に始まり、でも会社はとてもキラキラしたところだろうな、つらいこともあるけど毎日頑張るぞー!と期待に胸を膨らませていました。

 

 

4月1日の入社式に始まり、新人研修や同期だけの飲み会はとても楽しくて、僕はなんていい会社に入ったんだとその頃は思ってました、その頃は。

 

配属された先は、「新人は入って3ヶ月で風呂に入りながら泣く」「辞めていく人が非常に多い」「その店に配属と聞くと社内の人は嫌な顔する」など、散々な言われようでした。

 

蓋を開けてみると、指導係の先輩は48歳のおじさんだし、支店長は毎日何かにキレてるし、部長はそれにヘコヘコしながら僕達に厳しい言葉を投げかけてくるし。「本当にこの会社でよかったのかなあ」と思う日々でした。

 

5月 支店長が異動になったものの自分の置かれている状況は変わらず、辞めたいなという気持ちが日に日に増していきました。

 

6月 この頃からいよいよ限界で、毎朝「このまま車に轢かれてしまえばいいのに」と思いながら通勤していました。実家に帰る度に愚痴をこぼし、終いには彼女に電話をしながら泣いていました。噂はどうやら現実になったようです。

 

7月に入ると本格的に転職活動に手をつけました。コンタクトの某大手企業や大手食品メーカー、彼女の地元の会社、僕の地元の会社や市役所など、手当り次第に情報を仕入れるようにしました。

 

8月はお盆休みや社員旅行、神戸の4日間に及ぶ研修で、半分近くは会社に行きませんでした。社員旅行は本当に楽しかったし、研修は他府県の同業者とも知り合えてなかなかワクワクしていたように思います。

 

9月になると市役所の試験勉強と面接を受けるようになりました。1社目の面接で「うちにこないか?早ければ早いだけいい」と仰っていただけたので、ここにしてもいいかな、市役所がダメだったらここにしようということでするすると話が進んでいきました。

 

10月、半年間の研修期間が終わり、本格的に営業の仕事が始まりました。勉強を続けてきた市役所の試験は、残念ながら落ちてしまい、もともとお話をいだいていた会社の話を進めることにしました。

 

11月 その会社から内定をいただき、いよいよ転職に向けた話を進めていきました。ここでぶち当たったのが「社員旅行の罰金」です。社員旅行から半年以内に退職した者には50万円の罰金を支払わせるという内容をそこで初めて聞かされました。労基に相談に行ったり、弁護士の相談所のようなところにも行きましたが、その費用を取り返すにはそれ以上の額がかかると言われ、撃沈。

 

12月 はじめて車が売れました。契約書に自分の名前が書かれていて、600万近くの金額にお客さんの印鑑をいただいた時は涙が出るかと思いました。ですが依然として辞めようという意思は固く、年末に帰省した時は具体的にこうしていこうという話を家族としたことを覚えています。

 

1月 年が変わっても環境は変わりません。相変わらず厳しいことを言われる毎日、僕以上に詰められてる先輩。そんな姿を見ているとより一層辞めようという意思が強くなりました。そんなことを思っている矢先、彼女に振られてしまいました。ここが大きなターニングポイントとなります。

 

2月 彼女に振られてから自分を見つめ直す機会が生まれました。本当にやりたかったことはなんだったのか、学歴もクソもない会社に入ったのは何故だったのか。お客さんのために動いて、「君からなら買うよ」という一言が何よりのやりがいではないか。どれだけ会社がブラックでも、商品と接客が好きなら続けられるんじゃないか。一大決心をし、今の会社に残ることを決めました。

 

3月 そうはいうものの、成績がいきなり伸びるわけもなく。斜に構えてみたり素直すぎたり本当に浮き沈みの激しい性格なので、社会不適合者だよなあと思いながら毎日を過ごしています。4月から入社してくる後輩のメンター(精神的なフォローをする役割)みたいなのに選ばれたので、僕と同じ思いをしなくていいような環境にしてあげられたら、と思っています。

 

 

 

長々と書きましたがここまで読んでいただいた皆さんありがとうございます。

とりあえず今の会社で5年、リミットはあと4年。自分の限界を試してみようと思います。その頃には28歳、果たしてどうなることやら、今後の人生に期待です。

 

人生2度目の合コンに行った話

僕は浮かれていた。

「合コン」という響きに。

 

2軒目のバーでええ感じになる?

ワンチャン狙ってお持ち帰り?

連絡先だけでも?

 

淡い夢。

 

同期が相席屋で知り合った一つ歳上の女性達と合コンをすることになった。

 

 

19:00 ドトールで作戦会議

先輩、同期、おれの3人で、今日はどうするのかを話し合う。とりあえず禁煙で、もしかぶった場合はお互い様子を見ながら手を打つ。程よく仕事の愚痴を交えつつ、19:45にはお店に行こうと席を立つ。

 

 

19:45 入店

肉バル○○、なかなか洒落てるじゃないか。ワインと生ハムでもかちこんで食事を楽しもうじゃないか。エレベーターで5階に上がり、通された席はなんと普通のテーブル席であった。いや、個室ちゃうんかい。この時点でほぼ負けは確定していたのかもしれない。

 

 

20:00 女子陣集合

前評判通りの顔ぶれである。僕が目をつけたのは正面二つ隣の女性である。派手さはないが素朴な可愛さがある。チノパンに黒ニットMA-1というファッションも男ウケを狙ってないのが素晴らしい。ましてや仕事休みだったというのだから、普段からそんな格好をしているのだろう。

 

ビールで乾杯である。

 

この時の席順は以下の通りである。

(白丸が女性 二重丸が男性)

狙ってる子

      ↓

      ○   ○  ○ 

○ 

      ◎   ◎   ◎ ←おれ

 

 

一番左の幹事の同期は、なかなかにポンコツボーイである。そうなると真ん中の先輩はポンコツのフォローに徹し、結果として僕は2人の女性を相手することになってしまった。いや、そもそもスマホを構うな、正面の女。ジンジャーエールを頼んでおいてそりゃないぜ。いや、話を振っといて質問返したら生ハムみたいな薄い回答しかしない左前の女。そりゃないぜ。

もう趣味とか恋バナとかぼちぼちと話題もつきてしまって、さあ何を話そうかと思案していると、「席のお時間です」との声。

 

お店を出て、二軒目に行く気分にもなれず、意中の女の子はそそくさと反対方向に帰ってしまい、生ハムみたいな薄い回答しかしない女と帰ることになった。電車の中でも湯葉かよ、みたいな会話を繰り広げ、意外と近所だったので「またスーパーとかで会ったらよろしくね笑」とのこと。もう顔とかほとんどおぼえてない。

 

 

そんなこんなで、僕の人生2度目の合コンは幕を閉じました。連絡先交換もしてないし、意中の女の子とも喋れてないし。楽しませる努力か、楽しませるイケメンじゃないので話術で、次回にしっかりと生かしていこうと思います。