ばらの花
タオルケットにくるまって、iPhoneで時間を確認する。8時に目が覚めたのだから、休日としては上等だろう。
カーテンの隙間から覗く外の明かりが、今朝は白んでいる。朝起きると外は雨で、昨夜干した洗濯物が可哀想に濡れているようだ。「あちゃー」と独りごちて洗濯物を取り込む。幸い、まだ降り出したところのようで、ほとんどの洗濯物が無事に帰還した。
冷蔵庫からジンジャーエールを取り出し、ラッパ飲みする。口はつけないように、顎にペットボトルを当てて飲むと清潔に保てる、ような気がする。
酒が弱いくせに、酒の味が好きというジレンマを抱えた僕は、学生時代、色んなウイスキーを色んな液体で割ることを覚えた。ロックで飲むとすぐに酔いが回って味わう所ではないので、おおよそ炭酸かコーラかジンジャーエールで割ることにしている。
とりわけ、ジンジャーエールで割るウイスキーには強い思い入れがある。
「ジンジャーハイボール1つで」
居酒屋の店員にも、バーのマスターにも、彼女はいつもそうやって注文していた。必ず店員さんの目を見て、持ってきてもらう毎に「ありがとうございます」を言う人だった。
1つ歳上の、写真を撮るのが好きな女性。最近流行りのカメラ女子とは違って、単純に写真を撮るのが好きだった。ぼくのライブにはおおよそ駆け付けてくれて、Nikonの一眼レフカメラで撮影をしていた。
そんな彼女と、プロポーズの話になった。
「どうせあんたはロマンチストだから」
「いやなんで分かるんですか」
「どうせばらの花を送ったりするんでしょ」
「いや、なんで分かるんですか」
「何枚あんたの写真を撮ってると思ってんの。あんたの作った歌なんてクサいのばかりだし」
「それがいいんでしょうが、それがいいと思ってるでしょ、先輩だって」
思えば、この頃から「結婚」についてなんとなく考えるようになっていた。ジンジャーハイボールを頼む彼女を、ずっと見ていられると思っていた。僕は先輩にばらの花でプロポーズをしようと思っていた。
6月の蒸し暑い夜に、終電を逃してしまった僕達は、寂れたラブホテルになだれ込んだ。乱雑に脱ぎ捨てられた服たちを横目に、将来の話をした。
「結婚って、考えますか」
「社会人1年目の私にはまだ早いよ」
「ぼくは真剣に」
「ばらの花ねえ」
「だめ、ですか」
「だめ、とは言ってないけど」
「じゃあ3年、3年後に結婚しましょうよ」
「3年後に、あんたが隣にいたら考えなくもない」
「·····」
結婚について真剣に踏み切れなかった彼女も、黙りこくってしまった僕も、弱虫だったのだろう。押し問答は朝まで続いた。
千円札が1枚ずつしか入らないラブホテルの精算機に苛立つ僕と、気長に押し込んでいく彼女。
「あんたのそういうとこだよ」
外は雨だった。駅まで送ろうか、と傘を差し出すと、いらない、と彼女は言い捨てた。最後にホテルの前で後ろ姿を見て以来、彼女と連絡がつかなくなってしまった。帰りのコンビニで買ったジンジャーエールを飲んだ。彼女のことを思い出して、涙が滲んだ。
雨降りの朝で今日も会えないや
なんとなく でも少しほっとして
飲み干したジンジャーエール 気が抜けて
くるりの「ばらの花」を聴いて、なんとなく思いついたストーリーを書いてみました。この季節によく聴きます。