手紙

元気でやってますか

笑えてますか

思えば遠く 故郷の人達

 

という歌い出しで始まる、フジファブリックの「手紙」という曲がとても好きなのでその話をします。

故郷を離れて8年目の春は、ウイルスに塗れた生活になりました。元気でやってますか、と聞かなくてもSNSで笑った顔が拝める時代になりました。

 

変わらない街はもう 日焼けする頃

太陽みたいな君にまた会えます

通り雨 ふざけ合う帰り道

今でも覚えていますか

太陽みたいな と 通り雨 の対比がよいですね、今でも覚えていますか という言葉から、大人の今と子供の頃の昔も対比できるのかもしれません。

 

さよならさえも 言えずに時は過ぎるけど

夢と紡いだ音は 忘れはしないよ

もう何年も 切れたままになった弦を

張り替えたら君ともまた 歌えそうな夕暮れ

さよなら という言葉を、伝えないまま、もう何年も会ってない友達がいます。いつか会おうねと言ったきり。何年も切れたままになった弦 、何年も止まった時間を紡ぎ出せば、昔みたいに歌えるといいですね。

 

上手くいかない時は 君ならどうする

弱い僕らは一体どうする

百万回も生きた猫のように

大切な人と寄り添ってたいのさ

上手くいかない時、どうすればいいか、分からないことがよくあります。君ならどうする?と聞きたくもなりますが、どうなんでしょうね、大切な人と寄り添うことを優先すれば上手くいくんですかね。

 

さよならだけが 人生だったとしても

部屋の匂いのようにいつか慣れていく

変わってくことは 誰の仕業でもないから

変わらない街でもずっと 笑っていて欲しい

人生は、さよならの連続です。始まりがあれば終わりがある。臭いと思っている部屋でもいつか慣れていく。他人の部屋くっさ思ってても、なんかゲームとかしに行くうちに慣れてしまうアレです。

Galileo Galileiは好きだった歌が響かなくなったことを誰のせいでもない僕のせいでもない言うてますけど、これテスト出ますね。

 

何もかもがある街に住んで

一体何をなくしたんだろう

何も無い部屋で1人きり

情けない僕は涙こぼしてた

ここ、めちゃくちゃ分かるやつです。何もかもがある街に住んでると、何を大切にしていたかとか、何を綺麗だと思っていたかとか、そういう感性が死んでいくんですよね。何もかもある街の、何も無い部屋という対比も本当にすこですわ。

 

さよならだけが 人生だったとしても

 

きらめく夏の 空に君を探しては

ただ話したいことが 溢れ出てきます

離れた街でも 大事なことを見つけたよ

じゃれながら 笑いながらも 同じ夢追いかけて

旅路はこれからもずっと 続きそうな夕暮れ

きらめく夏でも、天高い秋でも、どんより曇天の冬でも、澄み切った春でも、空を見るとあれやこれやと話したくなるんですね不思議と。

僕は今故郷から離れた街で住んでますけど、結婚して転職して、大事なことが色々見つかってきました。

夕暮れは僕の街でも、故郷でも同じ色をしていると思います。これからも続いていく旅路で、また交わることがあると嬉しいですね。

 

 

 

 

 

とまあつらつら書きましたけどもね、結婚式で故郷の友達が、中でも親交の深かった人達が来てくれてね、色々思うところがありまして。

 

お目汚し失礼します。