「エモい」「チルい」が許せない

「うわこれめっちゃエモいやん!」

「ほんまチルいわ〜」

 

皆さんの周りでも使っている人は居るだろうし、何なら読んでいるあなた自身も使っている言葉だろう。僕自身、5,6年前までは普通に使っていた。ところが僕は、この「感情の言語化をサボる現象」がどうしても許せない質になってしまったのである。何故そんなにキレ散らかすんだ、いいじゃないかどんな言葉を使ったって、と思う人が大半で、こんなことを考えている人はだいたい頭がおかしいか、頭がおかしい。

 

元来僕は小説を読むのが大好きな人間である。小説は映画やドラマに比べて消費する時間がかかる。映画で長くてせいぜい2時間半、ドラマで1時間。小説だと早くて半日、途中まで読んでまた明日なんてこともしばしば起きる。

 

ぼくが小説を選ぶポイントは「作者」と「裏表紙のあらすじ」。ざっと読んで買うかどうかを真剣に吟味する。なんせ消費するのに時間がかかる娯楽だから、面白くない物は選びたくない。でも面白いかどうかを判断するには読んでみないと分からない。そんな思考を行ったり来たりしながら本屋で小説を買う。すぐ決まればよいのだが、かかる時で1時間は1冊を吟味する。本のインクの匂いでうんこがしたくなるのでだいたいトイレの位置は把握してからがキモだ。

 

小説を選ぶまでにこれだけ時間を費やして、また読むのにもかなり体力を使う。映画やドラマは音と映像でお互いを補完し合えるのでまだいい。小説は(当たり前だが)文字を読んで物語や登場人物を想像して、展開を頭に置きながら消費していく営みである。だから、何時間も立て続けに読み続けることは難しく、一旦休憩を挟んだり翌日に持ち越したりということが起きるのである。

 

そうして読み進めた本が自分の人生に重なったり、これでもかと感情移入が出来たりすると、読み終えた時の感動は何にも替え難い経験である。スッキリしたような少し寂しさが残るような、でも心のどこかで満足しているような、一言では言い表せない感情になる。

 

このような一連の営みは、YouTubeNetflixTikTokといった動画媒体が中心となっている現代においては時代遅れだ、或いは無駄だと思う人もいるだろう。

動画媒体の魅力はなんと言っても「手軽さ」だろう。スマホ1つあればいつでもどこでも楽しめる。内容が面白くなければ×ボタンで閉じて他にいい動画はないかと探すことも出来る。YouTubeで動画を見ているとおすすめ動画を表示してくれる。なんと便利な機能だろうか。

だが、動画媒体には選ぶ楽しさや作品を見終わった後の達成感のようなものは決して味わうことは出来ない。「エモい曲メドレー」、「チルい曲Remix」を流して1曲毎に込められた歌詞の意味を考えることはあるのだろうか。動画媒体が全て悪いという訳では無い。自分自身もYouTube Premium会員になる位にはしっかりと使用している。

ただ、そういった手軽に便利に物語を消費できる時代だからこそ、文字だけで想像して物語を消費していく小説という媒体の重要性を伝えたいのである。

 

「エモい」「チルい」は、言葉を簡単に消費しているような気がして、小説が好きな人間だからこそ、文字だけで想像するのが好きな人間だからこそ、簡単な言葉で纏めるなよ、もっと感情について詳しく教えてくれよ、皆がその言葉を使い出すと何の感情を言いたいのか分からんよ、と怒りとも興味ともとれない、複雑な感情が芽生えてくるのである。また、「エモい」「チルい」って言っときゃいいんでしょ、な感じが透けて見えるのが気持ち悪いのである。

 

こんなことを考えている人はだいたい頭がおかしいか、頭がおかしい。